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ヨシカイアート

「えことば」をつくる人だ、ボクは

えことば作家よしかいの日々のこと。「えことば」をつくる人だ、ボクは

歳を重ねるにつれて、「上手くいった」という感覚が減っているように思う。

本当に「上手くいかない」ことが増えているのかもしれないし、「上手くいった」を捉える基準が上がっているのかもしれないし、「上手くいく」ための行動の難易度が上がっているのかも。

そうやって振り返ると、昔から特段なかった気もする。文化祭の終わりや大きな仕事やイベントの終わりとかに「上手くいった」と刹那的にその感情と思いがフワッと湧いたとしても次の日には、フワッとなくなっていたりする。

金輪際、「上手くいった」という日は来ないかもしれないけれど、こうして取り留めなく文字を打っているとそれでも良い気がしてきた。

「えことば」をつくることは、自分の救済

カッコつけてインタビューで、このように語ったことがあるけれど、今日職場に向かう車の運転中、「やっぱり自分の救済」だなと改めて思った。

昔からの癖で、そうは人から見えないと思うけれど(めちゃくちゃ隠してるので)自己否定が根底にある内面をしている。だから、暴飲暴食したり、制作するべき時間にしなかったり、勉強を決めた時間にやらなかったり、酒を控えると言って飲んだりすると、自己否定が発動してめちゃくちゃ憂鬱になる。

その憂鬱から逃れるために、可能な限り規則正しい生活で、ルーティンを守り、心穏やかに過ごし、勉強したり制作したりするのだけれど、それをやることで得られるのは「やったー」とか「上手くいった」とかではなく、「これで今日も何とか自分を許せる」という感情だ。

上には上がいて苦しくなる

他者との比較もバリバリしてしまう。これまた、側から見ると自分のペースで穏やかに自信を持ってやっているように見えている気がするけれど、頑張ってそう見せないようにしているだけで、人一倍意識しているからこそ、そう見せないことが上手なんだと思う。

インスタや映画やアニメや漫画やアートや雑誌などで、素敵なクリエイターを見ると一瞬「素敵」と思った矢先、自分とその人の今の距離に愕然として自己否定が始まってしまう。本当に悔しい。ジョージルーカスとか宮崎駿とか、そういう人に対しても悔しさが出てきて、悔しいことが世界中に溢れている。

そんな中で、唯一「えことば」を作っていると「これをつくる感性と絵と言葉」に関して言えば自分だけのものという感覚がある。他人の絵や作品に触発されて絵やデザインをしている時はやっぱり比較して、それの下位互換になってしまうけれど、「えことば」だけは自分だけのものだと思える。

見失いそうな時は「えことば」に立ち返る

自分のアイデンティティである「えことば」にいかに立ち戻れるかが、これからのヨシカイアートの世界観を作っていくと思う。今までは綺麗事を並べていたけれど、創作を人に届けていくということは、自分の生の感情や言葉や創作物を正面から見てもらわないと、人の心を動かすような感情を届けられないと思う。

だから考え方を改めて、本当の意味でのヨシカイアートに出会えるように、「えことば」制作に注力していきたい。一昨日と昨日ソロキャンプをしていて、内省している中で、その思いに至った。

今日はそんな身勝手な決意表明をして、えことばを想像したいと思いました。

えことば

よしかいがつくる「えことば」は、小さな哲学を絵と言葉で表現した短い物語です。よろしければ、ほかの作品ものぞいてみてください。